山口弘美のチューニングセラピー

心と身体の美を追求するセラピスト

山口弘美のチューニングセラピー -エッセイ-

山口弘美のチューニングセラピー -エッセイ-

狩野順子

☆山口先生との出会い

私の人生は、山口先生との出会いで大きな転機を迎えました。それは2000年の6月、私が40歳の時のこと。ある方の紹介で群馬県前橋市にあるサロンへ連れて行っていただいたのが、これから私に起こる全ての始まりでした。
実はその1ヶ月前に、私は不思議な経験をしていました。小春日和のとても気持ちのいい日に田舎道を車で走っていた時です。ボンネットのはるか向こうに、天から光の帯がキラキラと、とても綺麗に舞い降りてきたのです。
それは「わあ~綺麗! 何だろう?今の光は」と声に出してしまうほどの美しい光景で、15年経った今でも、しっかりとまぶたに焼き付いています。そんな印象的な光景に出会ったその日に、知人から山口先生とのご縁を繋げるきっかけをいただいたのでした。

それからほどなくして山口先生にお会いすることになりましたが、先生は私に会うなり開口一番に「狩野さん、エネルギーがスカスカですよ」と私に仰いました。私は意味が分からず「一体どういうことですか?」と伺うと、「電気だってコンセントを差し込んでいなければ点かないでしょう」と仰る先生。「隣にいるだけで分かるのかしら?」と不思議に思ったことと、エネルギーという言葉にとても興味が湧いたことを覚えています。そして、「どうしたらいいですか?」と質問した私に先生は、「後日、改めて私の施術を受けてみてください」と仰いました。

☆勉強と独立
6~8月の2ヶ月間に集中して10回ほど山口先生の施術を受け、まずは自分の心身を整えました。その結果、私も施術を習いたいという思いがむくむくと湧き上がってきて、「それでは9月から勉強に入りましょう」と言っていただいたのですが……。その矢先に四十肩の激痛が起こり、左半身と腕や首、肩が動かすことができずに夜も眠れない日々が続くという問題が勃発。それで悩んだ末に先生に電話で相談すると、「狩野さんが本気でこの仕事に入ると決めたからですよ」と仰ったのです。この時に、心と体と魂とは繋がっていて、三位一体になっているのだということを初めて知り、また体感することができたように思います。そして後日、先生の施術を受けた時、オイルとエネルギーのおかげで痛みがとても和らいだことに驚き、ますます施術への興味が強くなっていったのです。ちなみにこのときの痛みの感覚と先生の施術方法は、今に至るまで私が施術をするうえでの重要なヒントになっています。

それから先生のもとで浄化と充電を繰り返しながら技術や接客、人として大切なことなどたくさん勉強させていただきました。入門してから2年ほど経ち、ようやく私も一人前になってきたかもしれないと自信がつくようになった頃、「独立してみたらどう?」と先生からアドバイスをしていただきました。それを聞いて、サロンで一スタッフとして働かせ続けるのではなく、私の独立を後押ししてくださるんだということにまず驚いたのとともに、先生は「世の中に一人でも多く、各場所で活躍するセラピストを育てたい」と本気で思っていらっしゃるんだと感動しました。
やがて、母が一人暮らしをしていた実家の一部屋を借り、曲がりなりにも一人で仕事を始めてみることにしました。そこは田舎の古い農家ではありましたが、お客様は口コミでどんどん増えていき、毎日絶え間なく、台風でも大雪の日でも足を運んでくださったのです。ある時などあまりの大雪に、「こんな雪ですから今日はやめましょう」と私から連絡すると、「私は四駆で伺いますから、狩野さんさえよろしければ予定通りにお願いします」とお返事をいただいたとき、本当にありがたいと涙が溢れたものです。こうしたお客様のためにも、さらにパワーアップしてよりよい施術をしていこう、と決意した出来事でした。

☆セントラル前橋店オープン

それからほどなくして、セントラルスポーツクラブ前橋店のテナントとしてメイプルが入ることとなりました。先生はその頃、長期にわたって奈良に行っていらしたので、私が立ち上げを任されることに。やりがいのある初めての大きな仕事に発奮し、先生や仲間の協力を得ながら店内を整えてスタッフを募集し、キャンペーンやメニューの考案、目標の設定etc.……。やるべきことを自分なりに必死でやってきたつもりでしたが、いざオープンしてみると全ての面においてガタガタで、私は店長でありながらもまだまだ未熟な状態であるということが浮き彫りに。私にはスタッフをまとめる力も率先して自らが動く意欲、売り上げを伸ばす力も何もなかったのです。偉そうに指示を出したりシフトを組んだり、新たなキャンペーンを打ち出したりしても何もうまくいかず、その時は自分の何が原因かも分からずにただただもがいていました。そして日々スタッフからの不満ばかりが募るという状態の中、皆私から遠のいていきました。
 そんな私を見るに見かねた先生のご配慮によって本店に戻り、今度はインストラクターとして教育に携わらせていただくことに。でもそんなチャンスをいただいたのにも関わらず、一生懸命にトライしては越えられない壁に悩み苦しみ続けるばかり。私は自己卑下の塊と化していきました。私はダメ人間でグズで泣き虫、頭も悪い。そのくせ失敗したくないし人に笑われたくないし、認められたい。でも結果は出せず、お客様や先生からの評価が怖い。こんな私がセラピストに、ましてやインストラクターになどなれるわけがない。こんなに頑張っているのに誰も分かってくれない……と。そしてそんなマイナス思考が限界に達した頃、「もう教育は私にはできません。お客様の施術だけをさせてください」と先生に訴えてしまいました。かなり精神的にへこんで自暴自棄になっていたのです。

☆加計呂麻島と私
そんな私を救ってくれたのが、神々の島と呼ばれる加計呂麻島でした。
山口先生に誘っていただいたことから何度も通うようになったのですが、大自然本来の力が溢れているその島へと足を運ぶ度に、海や木々や空や太陽が心身のエネルギーのデトックス&チャージをしてくれるのです。そのパワフルな癒しによっていつしか私自身の中に、「本来の自分を取り戻してその変化に気付き、心から感謝が溢れ出す」という良い循環が起きていることに気付きます。あれだけネガティブだった私が……、まさに脱皮して生まれ変わったような感覚とでもいえばよいのでしょうか。そしてさらに、とても大きな勘違いをしていたことにも気が付きました。それは、「もっともっと頑張らなくちゃ。ちゃんといい人にならなくちゃ。成果を出さなきゃ。期待に応えなきゃ。そうやって自分をがんじがらめに縛って勝手にへこみ、動けなくしていたのは、他の誰でもない自分自身だった!」ということでした。そして何よりの一番大きな気付きは、
「教育はできません。お客様の施術だけをさせてください」と先生に訴えた私の傲慢さと我の強さでした。働く場所を与えていただいているだけでなく、仲間との信頼関係を築き上げることができる素晴らしい環境で、毎日お客様の施術をさせていただけて、支え合う家族や先を照らしてくれる師匠がいて。何よりこの健康な体がある。「足るを知る」ことをすっかり忘れて、自分は一体何様だったんだ、と。

☆そして、これから
私は20歳の頃にある冊子に載せた作文に、「私の夢は白いTシャツとジーンズ姿でもカッコイイ大人の女性になることです」と書いたことがありました。今でもその目標は変わっていません。そうして自分らしく生きていつか死を迎える時、「ああ、いい人生だった」と思えるように、これからも本分に従って生きていきたいと思います。その本分とは、この施術を通して周囲に愛と調和の輪を広げていくこと。そんな「花咲かばあさん」を目指して、今日もまた心を込めてお客様一人一人の施術に励みます。

2014.12.12. 更新